花魁シリーズ、始動
「花魁」は有名なものだと思っている。遊女の中でも格が最上で、今で言う高級娼婦だった。英語ではJapanese Courtesans(高級娼婦)となるようだ。
日本には花魁淵と呼ばれるものが2つ(最低でも)あるらしい。うち、1つは札幌にある。札幌すすきのには、仙台以北最大の歓楽街で、キャバクラが東京でいう「セクキャバ」ほどの安く充実したサービスの整った店をはじめ、数多くの性風俗店が立ち並んでいるが、そのはじまりは開拓使時代(明治)に出来た「遊郭」と、その後の遊郭の移設・発展にある。その陰で「悲劇」として生まれたのが、花魁伝説と、花魁淵の呼称である。
明治時代のこと、南2条西3丁目に、ある洋物の呉服店があった。
骨董商の横山は、かつてこの「若松」に住み込みで働いていた関係で、この一連の話に詳しいのだという。
先代の若月為右衛門が亡くなって為吉の代になってからのことである。
洋物布地や既製服などを仕入れるために上京していた為吉は、吉原遊びを覚えて、とうとう「花魁」を身請けして、札幌へ連れてきてしまった。
横山は毎朝、この新妻を見ていたが、中肉中背のあか抜けた美人だったらしい。
ところが、彼女の元には密かに男性からの手紙が届いていて、札幌で暮らして3ヶ月が経った頃、東京へ帰ると言いだした。
激昂した為吉は、座敷牢を作って彼女を監禁し、毎日のように陵辱したという。
彼女の泣き叫ぶ声は、横山の耳にまで届いていたというから驚きである。
ある夜、彼女はとうとう牢を抜け出すことに成功、彼女の高下駄と蛇の目傘がなくなっていた。
横山を始めとした店の若者達が市内を探し回ったが、結局見つけることはできなかった。
八垂別の農家が、豊平川上流の淵で女性の溺死体を発見したのは、それから2,3日後のことである。
高下駄と蛇の目傘も見つかり、死体の身元は確認された。
これが明治28年の秋のことで、この事件の後、人々はこの場所を「おいらん渕」と呼ぶようになったのだという。
via http://www.h6.dion.ne.jp/~romandou/014_oiranbuchi.html
その後、花魁淵のあるところは南区の管轄となり、藻南公園と呼ばれるようになった。しかし、この公園も、お盆に身元不明の死体が流れ着いてきたり、トイレで警察官が自殺したりと、曰く付きで、おもしろい。
実は、札幌・花魁淵伝説には諸説あり、市や区のサイトで取り扱っているものは、上記とはまた異なるが、自分は上の伝説が1番好きだ。
陵辱され死んだ女のことを思い浮かべつつ、花魁シリーズとして、しばらくお付き合い願いたい。










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